FacebookのCMがぼっちに喧嘩売っているんじゃないか問題 (新備忘録 #6)
年季の入ったステルス主義者からすれば、名前の短縮系も本名と同じぐらいに扱われる文化圏のもの(William が、なんで Bill とかBilly やねんというアレ)をそのままもってきて、実名でやってくださいなていうのがないわーの暖簾でお馴染みのフェイスブックのCMの件である。
CMを作る側の人たちは、さぞかし賑やかな生活をされてきた方たちばかりなんでしょうねえというのが透けて見えるケッタくそ悪いCMと見えなくもないのはともかくとして、ぼっち業界においては、友達の友達は皆友達と言わんばかりの、空前の友達連呼ブームが気にくわないようであった。
ただ、年季の入ったステルス主義者サイドからすれば、このCMを見たところで、「まあ、そういう関係が楽しいって思う人もいるよね」という、あくまで価値観の違いの話だなあというところで収まるのである。
風邪ごときでアピールするかまってちゃん面倒臭いわー、なんか地域コミュニティー面倒くさいわー、とりあえず全体を通じて同調圧力が面倒クサイワー、という価値観を持つと、あのCMは、なんか面倒臭い生活ツールなんだねえと思ってしまうのである。
ってことで、あのCMって、ネットをあまり使わない人だったり、基本的に人間関係ってしんどいよねと思い始める年頃の人々にとっては、イメージ戦略って言われても、あまりピンと来ないんじゃないのかなあと思ったりする。
さらに思っちゃうのは、ネット使う人間で知らん奴はいないだろうというフェイスブックが、わざわざ広告宣伝費を使って、この誰得CMを打つっていうのは、色々とあっ・・・(察し)な部分ではあるんだけれど、それはまた別のお話。
参考
「友だち」連呼、フェイスブックのテレビCM 「ぼっち」が「見てて辛い」と猛反発 : J-CASTニュース
1年前の記事(2013年11月5日-8日)
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