ただしソースは自分 (過去記事肌感覚編)
旧ブログの記事をどんどん消していく目的で開始した、過去記事掘り起こしコーナー。今回は2010年1月20日「電車に乗ってみて、今更気づいたこと」の掘り起こしという名の、加筆その他もろもろをやっていく。
どの広告が目立っていて、他はどうのこうのという話を書いていたのだった。なお、2010年1月20日近辺での話なのは確かなのだけど、どの時間の話なのか、つまり、朝の話か、夜の話か、あるいは昼の話なのかがわからないので、そこはごめんね。
ってことで、たった数行の記事の加筆堀起こし開始。なお、この記事を投稿した時点で、旧ブログの記事は消去する。
2010年1月20日。朝か昼か夜の時間帯。電車に乗っていると、卒業旅行の広告と予備校の広告を目にした筆者。これは、時期的なものだからという理由で片付けることができた。
でも、私が気になったのは、自社広告が増えていたということと、広告スペースそのものに空きがあったという点であった。こんなあからさまな不景気感がダイレクトに反映ちゃうのは、結構、心にくるなあと。単に電車の広告スペースを見るだけでも、不景気感を味わうことができるという、なんだか悲しい話なのであった。
とまあ、この時期に書いた記事はこの程度の話で終わっている。
ところで、わりと電車の広告というのは、主観データとしての不景気の指標やら、季節の確認とかそういうことに有用なんだろうなあと思ったりもする。
この手の、肌感覚話としては、2018年の私がよくやっているのは、本屋に行ったり、近所のスーパーに行ったり、コンビニの新製品スイーツをちょこっと買ってみたり、家電量販店のゲームコーナーの人の混み具合を見てみたりとか、まあ、様々である。季節性やら流行性やら、豊作不作の流れとか、わりと見えてくるので、なんだかんだで結構、面白いよねと。
ただ、肌感覚っていうのは、自分の中で「私はそう思う」という程度ならまだいいんだけど、他人に拡散させる人が出てくると厄介なものになる。まあ、twitterで出てくる「肌感覚」って、なかなかの香ばしさになっているでしょと。
肌感覚の欠点は、どうしても、「ソースは自分」の要素が強くなってしまうこと。だって、そりゃ、自分の肌感覚なんだから仕方がない。ただ、それをもって、他人が参考にできるデータとなりうるかというと、これはちょっとどうなんでしょうと。
なので、この手の他人の肌感覚データをどうにか、自分の糧とするためには、自分自身でフィルターをつけるか、あるいは、他者の肌感覚話の対象となっているものが、ある程度の客観性が維持できているのかというところをチェックしないといけないわけだ。
しょーもない話で行くと、他人が言う「〇〇さんの顔が可愛い・かっこいい」は、自分にとっては可愛くないかもしれないし、かっこよくもないかもしれないってことですね。他人が言う「〇〇さんの顔の造形が美しい」なら、「美しい」というものに、一応、黄金比だったりなんなりに基準が存在するので、多少なりとも客観性があるよねという、まあそういうことですね。
まあ、何が言いたいかっていうと、他人の肌感覚をあてにするのは、なかなか面倒臭いってことなのであった。なんだその結論。
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