投稿を諦めてしまう零細ブロガーの心理を述べてみるの巻(過去記事の状況)
さて、今回は、困ったときの、旧ブログからの過去記事リニューアル回。今回は、2006年11月22日に投稿した、「自分の書きたくても書けない事・その状況を考えることは精神衛生上よくないかも…」を、加筆修正などをしたものとなる。早い話が、ブログにおける内輪ネタの1つであるところの、ブログ論話である。
なお、この記事を新たに投稿した時点で、旧ブログからはこの記事は消滅する予定である。ってことで、なんとなく開始。
書きたくても書かない状況
今のブログの前身のブログでは、「どこまでもカオスに適当に!をモットーに自分の思うところを書きなぐる無責任サイト」ということになっていた。
と言っている割には、実は自分の思うところを自由に書いているというわけではなかったのだった。2006年の段階で、その書きたくても書けない状況を挙げてみると、だいたい5つぐらいのシチュエーションが浮かんでいた。
で、今、5つのうち3項目は、2014年においてもなお、こんな状況だと書きにくいよね、ということとしてまだ生き続けている状態なので、今からこれらについてボソボソと語っていくのである。
- 時間経過
- 濃いファンがいそうなもの
- 自分の周囲で起こった事
時間経過:話題の鮮度の陳腐化
書きたい思った話題について、ちょっとずつ考えながら書いていくのが私のスタイルである。書き方としては、特に結論を立てずに、ウダウダ書いていって、何となくの結論にたどり着ければラッキーというスタイルで書いている。
ただ、この結論ありきじゃないスタイルで書くと、考えているうちに時間がどんどん経過してしまう。筆が遅いという決定的な欠陥がある。結果、時間が足りなくなり、書いたところで、古いよねってことで投稿をあきらめてしまうのである。
濃いファンがいそうなもの:ただただ面倒くさい
本来、いつまで経っても、どんなものにも噛み付きたい性質ではある。でも、熱狂的過ぎるファンがいそうな団体や、既存マスコミですらほぼアンタッチャブルになっているようなものとか、そういうものに触るのは、ただただ面倒くさい。
2006年の段階ですらそう思っていたんだけど、これがツイッターだの、なんだのの影響で、市井の人々(本当に市井の人々かどうかは知らない)による、著名人に対する親衛隊化というかファンネル化が進んでしまっている世の中なので、なおさら面倒くさい。
ってことで、面倒くさいものにいちいち触れるのは、本当に面倒くさいので、結果、投稿をあきらめてしまうのである。
自分の周囲で起こった事:毎度おなじみステルス主義
当ブログでは、毎度、語っているステルス主義の話である。平たく言うと、正体をばらしたくない思考である。
例えば、代理店がついている気配がプンプンする炎上人とか、商品紹介等で生計を立てているであろう動画の人とか、6秒間動画ループの暖簾でおなじみのVine利用の人とか、いわゆる、身バレ、あるいは、身バレリスクを背負ってでも、何かをしたいという人間でもないのに、そんなリスク負いたくねえよ、という思考ですね。
だから、いくら自分の周囲で起こったことが面白い、あるいは、特に面白い事もでないけれど、なんとなく書きたいわあと思ったとしても、リアルワールドに少しでも直結しそうなものは、投稿をあきらめてしまうのである。
まとめにならないまとめ
ただ、こういう考え方で、ブログを続けようとすると、案の定、投稿しなくなる日々がどんどん増えていく事になる。要するに、気にし過ぎ、自意識過剰、ということである。無名人のブログなんて、そう見る人なんていませんよという話である。
だからこそ、今、当ブログとしては、「みんながみんなその物事に興味があると思っちゃいけないよという精神で綴る備忘録」という、コンセプトでやろうとしつつあるのだけれど、実際、投稿は減少傾向ということで、それじゃあいかんわなと思いつつ、ぼちぼちやっていく次第であります。
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