ポジティブ・メンドウくさい(過去記事巻き込み)
今回は、旧ブログにおいて、2008年1月14日に書いた「ポジティブ教は他人をむやみに巻き込むから気持ち悪い…殴り書き編」について、加筆修正したものとなる。
なお、この記事を投稿した時点で、旧ブログ記事は手動的に消滅する。
ってことで、スタート。
2008年ごろにおいて、ネットの片隅で、ある言説のようなもの(?)が現れていた。
確か、どこぞかαブロガー系の人が、その言説をやたらとブログで語りまくっていた記憶がある。もしかしたら、アルファブロガー系の人じゃなかったかもしれない。なんか、一時期やけに、その手の言説が流れてきた記憶がある。
その言説は言ってみれば、ポジティブシンキングの礼賛である。
何かにつけて、私ポジティブシンキングですから宣言したり、ポジティブに行きましょうよとか、ポジティブにいくと人生楽しいよとか、ポジティブのおかげで肩こりが治りましたとか、ポジティブのおかげで階段上りが楽になりましたとか、そういうやつである。
そんなポジティブ礼賛の流れが出たか、出ないか、やっぱり出たよ、キタコレってぐらいの時期であるところの、2008年において思うところがあって、つらつらとそのことについて書いていたのだった。
その思うことの中心にあったのは、以下の事であった。
元々ポジティブな人間が、わざわざ自分はポジティブであるということを宣言し、他者に強要するような行動をとるのかな? という単純な疑問である。
だってさあ…
元々ポジティブな人間は、既に自分自身はポジティブ状態である。なので、その人にとってポジティブであることが平常である以上、わざわざ自分自身でポジティブ宣言をする必要がない。
また、ポジティブ人間は、物事をポジティブに考える立場である以上、人は生きている時点でポジティブなので、わざわざ他者にポジティブを強要をする必要がない。
だもんだから、こう思ったわけだ。
ポジティブ・ポジティブ言う奴は、実の所、自分の中にネガティブの欠片があるという自覚があるからこそ、「ポジティブじゃないといけないよね!」なーんて言って、自分に言い聞かせているだけじゃないのかと。
さらに、そんなネガティブのカケラを持っているからこそ、ポジティブであらねばならないという強迫観念にかられて、他者にポジティブを強要するのではないのかと。
ポジティブ礼賛を他者に強要することで、自分自身の心の安定をはかっているのではないか。結局は、自分自身のために他人を巻き込もうとしているだけじゃないのかと。
これはちょっと言い過ぎた。少し反省。(ネガティブ)
いや、別に個人で「私はポジティブだよー」って言うのはいいんだけど、そういうのは面倒くさいから要らないって思っている人にも、おすすめしちゃうのはどうなんだよと。
いわば、ポジティブのおすそ分けなんて、こっちは有難迷惑でしかないわけですよ。自分の精神状態のポジティブ・ネガティブぐらい、自分の意思で自由に決めさせておくれやすっていう話ですよ、これは。
まあ、こんなことを書いても、どうせ、誰の眼にも触れられない状態なんだろうけどさ…
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