能力を持っている奴らの傲慢(過去記事走り書き改訂)
今回の文は、2006年12月23日に前身のブログで書いた記事「真実を面白く表現できる人間も必要では?」をベースにしつつ、かなり書き換えたものになる。なお、この記事の投稿を行った時点で、前身のブログからはこの記事を消去する予定である。
ってことで、ところどころ書き換えている文章スタート。
今回は走り書きである。でも、かなり荒んでいるかも知れない文章を私の全てとは思わないでね♪
2013年6月9日からちょっと前の話。某芸能人の美談デマがツイッターにて、そこそこ出回った件で、本人がそれを否定したということがあった。
その美談は、ちょっといい話風にはなっているんだけど、そんな話が通ったら税務署が黙っているわけないだろうという、なんともお粗末なデマ美談だった。
冷静に考えればすぐにわかりそうなことでも、この話がそこそこ出回ったっていうのは、こういう事なんだろうなあと思う。
所詮、人間なんて真実なんてものを求めちゃいないんだ。結局、自分にとって都合のいい話におもねるものなんだ。自分にとって都合が良ければ、それを信じて他人に伝えて、へえ、そうなんだあってなる。ただそれだけなんだ。
噂にしたい情報や、他人に話したいと思えるオモシロ情報がどんどん取捨選択されていくのだ。そこには真実も嘘もへったくれもない。だから、口裂け女のような都市伝説みたいなものが生まれるのだ。
世の中に多くはびこるガセネタも、本当の話よりも面白いって感じる奴が多いから伝わるわけだ。だからこそ、本当の話がガセネタよりも面白いと多くの人に思わせなければいけないと思うんだ。
でも、現実はどうだろう。
本当の話を伝える力も能力も持っている奴らがガセネタを平気で垂れ流す。一般の視聴者には伝わりにくいであろうという名目で、英語が分からない人たちのため字幕と称して、少し意味のズレる言葉をあてがう。なんなら、喋っている日本語に対してすら、日本語字幕で言葉を改変してくることだってある。そして、これらのことを良しとする奴ら。
そんなの、能力を持った奴らの傲慢でしかない。能力をちゃんと持っている奴らこそ、そういう能力に対してより敏感になるべきだし、その能力の使い方も慎重になるべきなんだよ。
うーん、なんかこっぱずかしい文章になった。やっぱり、年食うとこういう発言が素直に出にくくなるよね。
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