「人と違う意見を持ってもいい」という言葉(他者と違う過去記事)
今回は、2006年11月18日において、前身のブログに書いた「人と違う意見を持ってもいいという言葉は、人と同意見で安心する人を呼び寄せるツールかも」を、ちょっとだけ加筆修正したものとなる。なお、いつものとおり、この記事が投稿された段階で、前身のブログの記事は消す予定。
ってことでスタート。
十人十色なんて言葉があるように、人それぞれ意見が異なるからこそヒトという生き物は面白いわけだ。全てが全て同意見だったら、面白くもなんともない。
といいつつも、自分と似た意見を持っている人がいると、なんかシンパシー感じちゃうわあ、安心するわあってことになるのもまた事実。
実際、掲示板だの、ソーシャルなんたらだの、なんたらコミュニティだのの空間っていうのは、基本的に似たような傾向の人が集まる寄合所なわけだ。そんな中、結局、行き着く先は他者と同じ意見であることに安心する空間になっちゃっていたりする。
そういう空間に対して、何かを言いたい症候群な人々がこう発するとする。
「他人と違う意見を持ってもいいんだよ~」
他人の意見は違うという前提の元、あえて近い意見の人間が集まっているのに、何今更言ってるんだ、このスットコドッコイとは思うものの、おそらく大抵の人はこう反応する。
「そうだよね~、私もそう思うわ~」
「やっぱり、人と違う意見を持つって大事だよねえ~」
根底にあるのは、やっぱり、人それぞれ意見は違うっていうものなんだから、そりゃそうなる。
でも、これってこの時点で「他人と違う意見を持っていい」という意見を持っている他者と同意見であることに安心する空間が形成されることになっちゃっているわな。
「人と違う意見を持ってもいい」という言葉が、「人と同意見で安心する人」を呼び寄せるツールになってしまうという皮肉が待っているのだ。
なお、「人と違う意見を持ってもいい」って言っている人ほど、もしかしたら他者の違う意見に対しては寛容ではないかもしれないというのは、また別の話にて…(多分、やらない)
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