ステルス主義者の声再び (過去記事の掘り起こし)
2006年07月23日に前身のブログで書いていた記事を加筆等したものである。
Web.2.0なんて言葉も流行したり、ソーシャルなんとかサービスがどんどん増えてきたころの話。私は他人と繋がる気なんてサラサラねえよっていう立場のもと、あーだこーだ書いている記事である。もっとも、この思想は2012年の年末においても、あまり変化していないのは内緒だ。
あるソーシャルサービスがあったときに、それを使うことによって、自分の行動パターンというか、趣味趣向が他のユーザーたちになんとなく分析されちゃうことってあるよね。
例えば、はてなブックマーク(以下、はてブ)を使っている人のブックマークされているページの一覧をみただけで、その人の趣味趣向がなんとなく見えてくるわけだ。
なので、こういうソーシャルサービスが発展すればするほど、ネット上の人格とリアルワールドでの人格を分けて活動している人間、あるいは、ネット上の自分をリアルワールドにばれることに対して恐怖している人、いわばステルス主義者にとっては非常に住みにくいというか、面倒くさいことこの上ないソーシャルな共有社会になっていくこととなる。
ステルス主義者が、便利なサービスを使う立場をとった場合、趣味趣向がばれて、リアルワールドにばれるんじゃないかという恐怖感を持ちつつやることになる。
特に、リアルワールドが個人の意見よりも肩書き重視の腐れ社会で、組織とは関係ない個人の言論に対して、組織に圧をかけるド腐れ社会だった場合、その恐怖たるやこの上ない。
かといって、そのサービスを使わないでいると、情報収集能力において、どんどん使っている人間との情報格差が生じてくる。
共有ツールを使うにせよ、使わないにせよどちらにしろ、ネット上で住みにくい状態に陥ってしまう。
ステルス主義者には酷な話ではあるけれど、ネット上にいるときの自分とリアルワールドでの自分が、どんどん一体化していく世の中になっていくのは確かだろう。
という締めをしていたのは、2006年。
そして今、2012年の年末。ツイッターやフェイスブックどころの話じゃなくて、他人と繋がりまくりのケータイアプリが登場しまくりである。LINEだのcommだのカカオトークだの雨後の筍のごとく生えまくりである。リアルとネットの一体化が進みまくりである。
おそらくは、世代的にもソーシャルサービスが当たり前になっていて、ステルス主義者の抱える恐怖心が無い人たちがそういうツールを使い出している時代なのだろう。
2006年から、6年後でこの変化ですよ。ステルス主義者にとっては、もう本当に住みにくいったらありゃしない。
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