私個人の7年前の勉強感と現在の勉強感(過去記事から再編集)
2005年05月10日に書いた記事の再編。
民間調査で、中学生以上で学習時間二極分化しているよという話があって、これに対して思ったことを書いた。
特に、この手の調査で、よくある
「上手な勉強の仕方がわからない」
「どうしてこんなことを勉強しなければいけないのかと思う」
「勉強しようという気持ちがわかない」
という意見に対して、ブツクサ言ってみた感じになっている。
○上手な勉強の仕方なんて、今(2005年)でもさっぱりわからん…っていうか高校までの勉強なんて暗記のうまさだけじゃん。もっとも、私は暗記は嫌いだけどね。
○どうしてこんなことを勉強しなきゃいけないのかっていうが、中高ぐらいでやるのって、所詮常識の世界までだからなあ。非常識に領域に入るためには、ある程度常識を知っておかないと大変だぞ。
○勉強しようという気持ちがわかないっていう頃もあるだろうけれど、もっと真面目に勉強してりゃあなあという後悔でいっぱいになることだってあるんですよ。
それに、どこぞの外国じゃあ、勉強自体が富裕層の特権だったりするわけで…そう考えれば、幸せな悩みなんですよ、多分。
勉強を思いっきりできるときにやっておかないと、大人になってから、絶対後悔しますよ。
それと、やらなきゃいけないって思うから、やる気がなくなるわけで、暇つぶしに勉強でもしてみるか!というスタイルでいいから、やっとけ、やっとけ。
みたいなことを書いていた。
これに対して、2012年の12月下旬ぐらいの時間軸に住んでいる自分は何を思うのかっていうのが、今回の本題。
上手の勉強の仕方っていうのは、ここ数年の大人の勉強(下ネタではない)のブームがあったりして、勉強の仕方の本なり、テレビ番組なりで、色々と話題になっているわけである。だから、その情報を色々あさって、自分に合った方法を使うっていう手はあるよねといったところか。まあ、いい時代になりましたなあ。
どうして勉強をしないと…っていうのは、物事を知らないっていうことは良くないよっていうよりは、知っている方がより世の中が面白いでしょっていうとらえ方であるのが、今の私の考え方である。何かの事象について、物事を知っている方が、より多くのアプローチができるわけなんだから、そりゃそっちの方が面白いわな。
勉強する気が沸かないっていうのは、別に気が沸かないって言っても、気が沸かない代わりに別の事をすることになるわけで、その別のことをすること自体が、その別のことに対する勉強をしていることにもなるわけだから、別にいいんじゃないの?というのが、今の立場かなあ。
うん、なんか年を取った発言だなこりゃ。
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