何気に取材源の秘匿の危機でもあるんだぜ 備忘録742回
取材源の秘匿って、取材者側の義務だったり倫理だったりするっていうのは、誰もが知る所だろう。
取材能力を特に持っていない私みたいな人間も、なんとなく取材源の秘匿って必要だよなあと思っているけれど、さて、何故、そうなんとなく思っているのかってところになる。
それは、取材源が本当のことを言っているんだろうなあということと、取材を行う側がその「本当のこと」いわば、ソースをねじ曲げていないだろうなあということと、その裏取りをちゃんとしているんだろうなあという前提、いわば、信頼ってものがあるからだったりする。
なので、その前提そのものを、思いっきり崩されちゃった場合、そりゃ取材能力を持ち得ない私を含め、多くの人は、こう言わざるを得なくなる。
「お前の記事は興味深いけれど、そういうこと言うならソースを出せよ」
まるで、一時期のどこかの掲示板のような流れになってしまう。当然、ある程度のソースは出せるにしても、取材源までは出さない。そうなった場合、取材能力を持ち合わせない側はこう思ってしまうことになるだろう。
「どこから来たかわからんような話なんぞ、信用できるわけないだろう」
と、こうなったら、ジャーナリズムがデッドエンド状態になってしまうわけである。
取材能力のある側も、ある程度、世界のバランスを支えているっていう自覚があるんだったら、取材源の秘匿って、実は持たざる者側との信頼関係で担保されている面もあるんだよってことは、ちょっとぐらい気にしてよねって話なのである。
1年前の記事(2013年9月12日)
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