AIのご乱心があったそうな(新備忘録 #209)
MicrosoftのAIのTay君がアレなことになったことから得られる教訓って、やっぱり、ちゃんとした教育とそれにともなう環境ってある程度大事だねーということになるのかな。と言うのは容易い。
でも、「ちゃんとした」の定義ってどこにあるのかなあ。
何がちゃんとしていて、何がちゃんとしていないかっていうのは、相対的なものであって、これといって絶対的な何かがあるわけでもないもんなあ。
単に、ポリティカルコレクトネスの有無で定義づけるのもちょっと違うわけだし、そういう説明のしづらい倫理面部分って、そもそも、一体どうやって、人は学んできたんだろう。
倫理面なんて、無視しようと思えば平気で無視して突破できる部分だけど、大体の人は、そこはなるべく突破しないものとしているその理由ってなんなんだろう。
単に世間体があるからっていう理由も、世間を気にしないものにとっては特に意味のある障壁でもない。
突破したことによって、将来なんらかの損をするからという打算的な理由からというのもしっくりこない。
まあ、なんやかんやで、AIのこんな感じの結果によって、人ってよくわかんねえなあという面白さがあることに改めて気づかされた。
そして、AIを研究することは、人そのものを研究することに他ならないんだなあと知った日なのであった。
1年前の記事紹介(2015年3月26日)
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