対立事象に対するありがちなリーク合戦とその効用 脳内整理編 窓野総研 第80回
本来書きたいことの事前準備として、ちょっとした図を書いてみた。これは、昼間、YTVでやっていたクギズケ!という番組でやっていた、離婚で揉めている某カップルとそのリーク合戦の構図にインスパイアされて、少しだけ一般化させてみた図である。
サイドAとサイドBが対立していると、で、サイドAが、サイドBに対する攻撃の一環として、第3者A…たとえば週刊誌等にサイドBのマイナス情報をリークする。その第3者Aは、いわばスクープであるわけなので、そのサイドBのマイナス情報を読者に提供し、サイドAに成り代わり、サイドBを攻撃することになる。それは、サイドBも同じことで、こっちは第3者Bを使って同様の形をとることになる。
ってことで、サイドAとサイドBだけじゃなくて、第3者Aと第3者Bとの代理戦争的にもなってくる。
とはいえ、第3者は第3者、互いの対立行動っていっても、結局、相互ともに雑誌が売れることになればOKだったりするし、ライバル誌同士なんだから、そういうネタ入手争いがあってしかるべきである。
で、第3者同士の形式的対立構造があることによって、赤の他人であるところの読者には恩恵がある。第3者AやBから提供される情報は、それぞれ、A寄りだったり、B寄りだったりする部分があったとしても、第3者同士を一つの大きなカテゴリー、いわば、第3者群として考えれば、双方の言い分が赤の他人に提供されることになる。
この点で、第3者群の全体としての、情報提供バランスは比較的、公平性を保つことが出来ることになる。結果として、赤の他人サイドは、その双方の情報を基に、どちらを支持するか?あるいは、どうでもいいものとして無視するという選択が可能になる。
今回、私が言いたかったのは、この「第3者群全体としては、公平性が保たれる・バランスがとれている」という点。そして、これにより、「読者は情報に対して、取捨選択が可能になる」という点である。
で、ここから、この第3者群にあたるところの、全体としての公平性が無くなっているとしたら? いわば、楽しい印象操作の世界+α 脳内整理編の話と組み合わせてみたいんだけど、これは気が向いたときに。
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