好き・嫌い・無関心ともう1つの領域について 脳内整理編 窓野総研 第63号
好き・嫌いは関心がある領域、その反対軸には無関心の領域がある。これはよく言われる話だ。
例えば、好きな芸能人ランキングと嫌いな芸能人ランキングなんてその典型で、好き嫌いって言われているうちは、当人自体に関心がもたれているという表れである。逆に、好きとも嫌いとも言われていないというのは、「へぇ、そういう人がこの世の中に存在していたこと自体知らなかった」という無関心という状態ということである。
また、この好きと嫌いと無関心というのは、時間の経過とともに、グルグルと回っていく性質がある。
例えば、一時期ブレイクして、世間的に好きの領域にいた芸能人が、ブームが去ったあとは無関心の領域に移動したり、世間的には嫌がられていた人が何かがキッカケに世間的に好きな領域に移動したり、またその逆があったりという感じだ。
とにかく、これら3者間の移動を、グルグルやっていく上で、どう関心がある領域に留まる事ができるかというのを、皆は模索しているわけである。
しかし、実は、好き・嫌い・無関心という領域だけじゃなくて、もう1つ別の領域があるのだ。これは、知られているようでいて、なかなかその実態はつかめていない。
その名を「拒絶」という。
これは、関心を持ちすぎた結果、知らなくていい部分まで知ってしまい、好き嫌いを通り越して、「拒絶」に向かうというものである。この拒絶に行ってしまうと、元の好き・嫌い・無関心サイクルにはもう戻れない。
また、この拒絶というのが、思いっきり厄介なのは、先ほど例示した、好きなランキング、嫌いなランキングという、アンケート形式ではなかなか計りにくいという性質にある。
例えば「この芸能人が出てきたらチャンネルを変えるランキング」なんていうのを出してみても、そこで得られるのは、あくまで「嫌いな芸能人ランキング」である。
拒絶状態っていうのは、その芸能人を口にすることすら耐えられなくて、その人がランクインすること、他人がその存在を認識すること自体も耐えられない状況。ある種、関心がありすぎる状態ではあるのだけれど。
拒絶領域に移行するときには、ちゃんとした理由はあったにしても、それ以降は、理由もヘッタクレもなく、ただただ拒絶である。理由を問われても、「白紙」だったりするのだ。だって、もう理由という部分はとっくに卒業しているんだから。
だから、この手のランキングで、ニュアンス的に一番近いのは、いわゆる「生理的に受け付けない」という理由の表現になるんだろうけれど、この表現をしてくれる人は、まだ、色々と理由を考えてくれた結果、あるいは気を使って「生理的に…」と言ってくれているだけマシだったりする。
さて、私の心の中で、あくまでテレビに出ている人というジャンルに限ってだけど、今年に入って初めて「拒絶」リストが何人か増えてしまった。どうも年をとることによって色々と許容範囲が広がる反面、堪え性がなくなってしまっているみたいだけど、それはまた別のお話。
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