加工された情報の話と題した記事をブラッシュアップする回(過去記事探訪)
前身のブログで2005年07月15日に書いた記事を、ブラッシュアップしてみるという回である。
我々が得られる情報っていうのは、どうなれこうあれ、誰かによって加工された情報なんですよという今更感漂うお話である。
たとえば、口コミだったら不特定多数の思惑によって変化した情報を受け取ることになるかもしれない。
新聞・TVだったら、少なくとも媒体マスコミのフィルターがかかった情報を受け取ることになるかもしれない。例えば、どこどこの新聞社はリベラル型だったり、保守型だったり、もしかしたら、(自主規制)かもしれなかったりする。
他には、ある程度の客観性が担保された手続きを経ないで得られた生データは、その観測者のバイアスがかかっていることだってあるかもしれない。
つまるところの、情報っていうものは、その程度のものっていう考えを念頭に入れないといけないよねっていう話である。別に、メディアリテラシーうんぬんっていう堅苦しい話を抜きに、情報っていうのは、そもそもそんなものという状態じゃないといけないよってことである。
ある種、得られた情報をどう取捨選択するかは自己責任といえるのかもしれない。
人やマスコミの意見を鵜呑みにすると、ものの見事に洗脳されちゃいますよ。
でも、こんなことを言っている私の意見を鵜呑みにしても、いいことなんてありませんよ。
ここまでの文章は多少筆を入れたものの2005年に、こんな感じで書いていた記事である。そう、2005年の段階では、ネットの話はあまり深く掘っていなかった。
じゃあ、この2012年に私は、何を思うのかっていう話である。
結局のところ、ネットに書かれている事象も、「情報」である以上、2005年のときの話とそう変わらないよねっていう思いになる。
特にこの2012年の冬では、某オークションのステマ問題ってやつが大きく取りだたされているわけですわな。これは特定者の思惑による情報が絡むわけだけど、そう変わりがない。
ネットにおけるニュース等の、根本ソースは、どのみちマスコミからの情報が起点になっている場合が多いわけで、そういう観点から見ると、やっていることに大差はない。
さらに、いわゆる、掲示板群やら、ツイッターのまとめサイトってやつも、そのまとめサイトの観測者というか、中の人の思想という部分もだけど、そもそも人がまとめたものを提示している限りは、どうしても、偏りはできてしまうも。
なので、やっぱり、情報っていうのは、所詮そんなものなんだということは念頭に置いておいた方がいいみたいだっていうのは、何年経っても変わりがないよねえっていう結論になるわけですわな。
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